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南部吉兵衛の鹿角警衛

二月二三日、九条奥羽鎮撫総督一行は仙台城下に到着した。九条総督は直ちに奥羽

第1図南部吉兵衛への鹿角出張申渡し(『覚書』)

(盛岡市中央公民館蔵.

諸藩に対し、会津・庄内二藩の討伐を命じた。三月二九日盛岡藩は家老南部監物に

対し「此度鎮撫使御下向ニ付御用懸を命ずる」と発令している。監物は大湯館預りの北氏である。四月に入り成

岡藩は大目付沢田斉を長とする一隊を出動させ、さらに下旬に至って番頭桜庭愛橘、同奥瀬伊左衛門の二隊を増

強し白河口に展開したが、のち庄内に向かって転進した。四月六日、盛岡藩は鎮撫総督下向にともなう戦乱の拡

大を予期し、鹿角口藩境の守備強化を図って次のように

発令した(

「覚

書』

)。

一、南部吉兵衛

此節柄之事故両鹿角為警衛花輪江被遣、尤詰合中両通

御給人御警衛向ニ付而ハ致指揮可申旨被仰出。

且家内引越之儀勝手可為次第旨以大目付申達。

一、毛馬内通花輪通

御代官

詰合中御目付御用茂相勤可申候、但御警衛向之儀ニ付

而ハ南部吉兵衛得差図相勤可申候。

南部吉兵衛は代々花輪館とともに秋田境を預かってい

たが、この難局に際して家族共々花輪に詰め、鹿角両通