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定

慶應四年三月太政・

、人たるもの五倫之道を正しくすへき事。

、鰥寡孤獨廢疾のものを憫むへき事。

一、人を殺し家を焼き財を盗む等之悪業あるまじく事。

慶應四年三月

定

一、きりしたん邪宗門之儀は堅く御制禁たり、若不審たるもの有之ハ其筋の役所江申出へし、御ほふび下さるへき事

慶應四年三月太政一

定

一、何事によらすよろしからさる事ニ大勢申合候をととうととなへ、ととうしてしいてねかひ事くわたつるをこうそ

といひ、あるひハ申合居町居村をたつのき候をてうさんと申す、堅く御法度たり、若右類の義これあらハ其筋之役

処江可申出、御ほうび下さるへき事。

慶應四年三月太政白

これらの高札は、これ迄の懸場すべてに懸け置かれることになった。

鎮撫総督府の命によって四月より会津藩討伐の行動を起こした盛岡藩は、閏四月に入り、庄内藩への進撃命令

をうけ転進を開始していた。しかるに会津藩が降伏謝罪を嘆願するに至ったので、仙台藩・米沢藩が主唱して奥

羽列藩の重役を閏四月一一日に白石(

県

宮城

)に召集した。鎮撫総督府に対し、会津藩の降伏を入れ、征討軍を停

止することを請うとの趣旨であった。盛岡藩からは用人野々村真澄と江喘五郎が出席した。

白石に参集した奥羽二五藩重臣名による会津寛典嘆願書は、同一一日付で会津嘆願書の添願書として九条総督