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右御報此の如く御座候。

八月九日茂木竿

八月九日

楢山佐渡様

向井蔵人様

二白本文の御模様遅延に相成候ては、各藩御申合せ期限も之れ有に付、御境内に御進軍成さる可き由承知致し候

返書の前半は南部方の戦書の確認であり、後半は重大事件ゆえ本藩へ急報指示あり次第回答するので、往復の

数日間猶予を乞うというのである。この返書に添えて、茂木筑後から南部・佐竹両家は共に清和源氏の出であり、

天朝と浮沈存亡を共にすべき家柄である。しかも三卿が滞在する秋田藩への進軍は、即朝敵の名を免かれ難いと

再考を求めている。抄録すると

前に申述候通、同じく天朝の御親藩に候得は、再び御熟慮御改心の上、天朝の為誠忠尽力奥羽の朝敵を誅戮し、上は

辰襟を安んじ奉り、下は萬民塗炭の苦を救われ候ハヽ先般奥羽旗頭の朝命相蒙られ候御趣意にも叶させられ、御芳名

天下後世に輝き申可しと尊藩の為只管祈望する所に候、軍務多端の折柄縷々に及ばず候。以ト

八月茂木筑〓

茂木筑後

楢山佐渡様

向井蔵人様

戦書は南部方の開戦の意義主張であり、筑後の返書は秋田側の主張である。この段階で再考出来る筈もなく、

二白では進軍を受けて立つことも止むを得ないとしている。

この返書を持参した茂木方使者は小室定八郎である。のちに「八月九日に私(定八郎)は使者となり、帰途に