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つくや始めて敵小銃二発あり、依て当方よりも松木大砲を発した」(

『大館成

辰戦史

)と口述している。

こうして四〇数日間に及ぶ鹿角口の戦いの火蓋が切られたのである。

十二所合戦

秋田進攻十二所口の南部軍は『諸口配兵人数取調帳』

栗山文一郎編『戊

辰戦役絵図』所収

)にもある通り

○十二所街道

追楢山佐渡を将として発機隊三小隊、鳥蛇隊一小隊、昭武隊、花輪給人の一番手、楢山佐渡手勢の兵

計五一五人(

『秋田藩江討入之日

記』には五五〇人

○葛原口白根を越えた向井蔵人手勢、隊長下田物集女手勢、鳥蛇隊一小隊、発機隊一小隊嚮導毛馬内給人桜庭

手勢計六〇〇余人

○別所街道番頭石亀左司馬の地儀隊、花輪二番手の二〇〇余名

合計一、三五〇余名である。

これに対する秋田側は、久保田から砲二門を以て急據駆けつけた家老須田政三郎と、茂木筑後の麾下三〇〇名

であった。本道の沢尻街道から十二所正面まで、塩谷、岡本、菊池の諸隊が布陣し、後陣として大館から応援〓

派遣された根本源三郎隊が長興寺に待機した。須田隊は家老以下七〇余名、その中には参謀籠谷隆之進、野木馬

之助、金輪五郎等がいた。装備は能代から運んで来た大砲木砲各一門と、旧式の小銃(火縄三匁銃)一二〇挺だ

けである(

「大館戊

辰戦史』

)。

戦闘は本街道筋から開始され、楢山本隊は少数の十二所勢を忽ち藩境線から駆逐した。茂木・須田方は別所川

岸に布陣、三階橋で抵抗を図った。この模様は『出陣日記』に次のようにある。