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○同(桜庭祐橘隊)

双一八人

○新沢口(三浦五郎左衛門隊)

双一〇人農兵四一人同二三人(頭取山本喜代志)村夫三〇人(同豊口唯志)計一〇四人

○十二所口(花輪口)(楢山佐渡隊)

双二〇人大炮打方手伝農兵一四人農兵六〇人(長役佐々木六弥、奈良庄右衛門)同三〇人(頭取黒沢藤一郎

計一二四人

○別所口(石亀左司馬隊)

農兵三〇人(長役関俊治)同三〇人(長役三ケ田左右治)小荷駄方手附農兵一五人計七五人

○留守勢農兵六〇人

合計五〇四人

この外、旗持夫や諸士の下人の殆どが百姓から徴用された者であり、直接の戦闘部隊だけでも、農兵・村夫が

五〇〇名以上配属されている。

また十二所出張まで花輪の留守を守っていた南部吉兵衛隊二〇〇余名の内、半数以上が知行所から徴収された

百姓である。『御軍資金上納取立帳』

川村

家文書

の内「小荷駄調書上帳」によれば、各方面に出張の人数の、ほ〓

六割が小荷駄や兵器弾薬を運ぶ人足である。農兵の中には藩内各地で徴用訓練された者もあるが、小荷駄隊等は

殆どが両鹿角の村々から徴用された百姓町人であり、この戦争に果した百姓町人の役割は大きい。その中で南部

吉兵衛知行所から徴用された百姓町人、諸家来・小者の活動は次の通りである

「御軍資金上

納取立帳」

)。