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び、市中見廻りと称して二、三〇人ずつ撤収し、扇田入口の神明堂に本陣を移した。しかし四方に分散している

第4図扇田口戦況図

(盛岡市中央公民館所蔵)

諸隊を集合させるいとまはなかった。

茂木・須田の両隊は、十二所敗戦の恥を一挙に濯ごうと、密かに板沢の渡りを渡渉して間道を進んだ。寿仙寺

に突入した時、同寺には数名の見張りと擬兵がいるだけであった。夜襲部隊は間もなく佐渡の本陣が神明堂にあ

ることをつきとめ、全軍をあげて突入した。

楢山佐渡の本陣は態勢をたて直す間がなかった。麾下と花輪隊一番手は神明堂を出て市川〓に散開し、正面の

敵に当たった。彼我の〓弾が飛び交い、扇田市

中は忽ち戦場となった。

当日は咫尺を弁ぜぬ濃い霧であった。米代川

添の松林を潜行した須田隊は、人筏を組んで米

代川を遡上し、神明堂の上手に出て楢山隊の退

路を絶つ構えを見せた。佐渡隊は一時本陣も危

く見えたが、花輪隊一番手等の奮戦により血路

を開いて脱出することが出来た。本陣を守って

いた花輪隊一番手は、突入して来た茂木隊と戦

い多くの戦死傷者を出した。『出陣日記』は敵

味方の損害を次のように報じている。