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○大葛口御出兵銃隊二小隊は上ミ新田江宿陣、工兵三沢より拾五組出兵云々。円

(阿部恭助『日記』)

○今日大葛江打入大葛不残焼拂、今晩銃隊之内一小隊、三沢工兵三組山神堂江陳取、其余之人数畑長根江御本陣を構

〓候趣注進有之候、尤大葛は一人も居合不申由。昨日の合戦ニ味方敗走いたし、敵方大炮弐丁取候而山小屋の辺司

拂候処、不意を打たれ火をかぶり候ゆへ無據味方之大炮も捨置分取共ニ三丁共々敵ニ取られ候様子。

(同前)

と記録されている。大葛金山攻略戦はなかなかの難戦であった。

この合戦に、大葛村に滞陣し南部軍の進攻に備えていた秋田勢須田政三郎は、大葛金山攻撃を知り援兵を出し

て救援しようとしたが、扇田の敗戦を知り、退路を断たれることを恐れ、七日市方面に分散退却した。

阿部恭助『日記』によると八月二一日、南部軍は大葛の勝軍の祝として銃隊に清酒二斗、鯡五把、煮付、T

兵へは直し酒四斗と鯡煮付を送っている。同二二日、大葛口の高野隊は秋田兵の抵抗を受けることなく二井田に

至り、楢山佐渡の指揮下に入った。右の記事により、銅山の働き人達が「工兵」の名のもとに参加したことがわ

かり、ほか小荷駄方や兵糧方としても加わっていた。帰陣した三沢の銅山勢に対しては、帰陣祝いとして酒肴が

下されている。

囘二八日に提出された大葛口合戦の分捕牛馬の調書によると、乗馬一疋、駄馬四疋、外に兵糧運搬に駄馬一疋、

黒男牛を大葛から連れて来ている。この外略奪は厳しく戒められ、これを犯して罰せられた者もいた。

岩瀬合戦と板沢の敗戦

坊沢から後退した南部勢は川口に本陣を据え、岩瀬、中須田、板沢を結ぶ数キロに

及ぶ防衛線を布いた。