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国境の折衝
同心二名を添えて難なく秋田陣営まで送り届けている。
一〇日藩庁から指令を受けた楢山・向井の両将は、停戦の申入れを行うこととなった。『秋田
藩江討入之日記』によると、新沢口ではかねて捕虜としていた大館の三町人に申入書を持たせ、
同心二名を添えて難なく秋田陣営まで送り届けている。
今般京都より重臣三戸式部帰国、朝廷御内命之儀もこれ有に付進軍相扣え候間、尊藩よりも御進撃御見合せ下さる可
く候。委曲は追而御應接に及ぶ可く候条、此段取敢えず貴意を得置候様、盛岡表より申付越候。以上
盛岡藩向井蔵人
九月廿日盛岡藩向井蔵人
秋田御藩御出張御隊長中様円
楢山佐渡
右の停戦申入書は、十二所口では新沢口と違い軍使がその印に兜を脱ぎ馬上で進んだため、官軍の陣地から列
しく発砲され、繰り返すこと三度にしてようやく手渡す事ができた。これに懲り、以後の軍使には白流旗を持た
せる事を申入れている。
翌二一日、秋田藩須田政三郎・佐竹大和連名の返書が届いた。今回の戦闘は、貴藩から弊境への侵入によって
起り、朝廷より御征討の兵を差向けられたものである。然し御内命とあれば止むを得ないが、出張の兵をすべて
国境へ引き下らせた上で国境に於て応接したい、という内容である。結局秋田領に侵入している諸隊全員を藩境
内に撤収し、十二所口に於て応接することになった。
花輪南部隊には九月二二日、付添目付小枝指柳五郎から次のような達しがあった。
(大意)今般御城下表より指示のあった趣意もあり、秋田藩へ応接した処、同藩より早速久保田表へ立戻り九條殿ヘ