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しかるに一二月一七日行政官より申渡された新領は、奥羽諸藩がかつて同盟を結んだ白石城を含む旧仙台領で

あった。

南部彦太郎

岩代国白石御城御預仰付けられ、別紙郷村高帳之通領地下賜り候。尚御判物之儀は追而大政官より御沙汰之れ有

可き事。

戊辰十二月

戊辰十二月行政官

一、陸前国柴田郡三万五百廿七石七斗

磐城国亘理郡二万三千五百十一石八斗五升

宇多郡七千九十石八斗八升

伊達郡五千八百八石三斗

岩代国伊具郡三万九千四百四十二石九斗

刈田郡二万三千九石二斗九升

右之通此度其方領分として更に下賜候間、来巳年より物成郷村請取り申可き事。

(前掲書)

南部領は新政府において直隷地として支配することになり、鹿角郡をはじめ九戸・閉伊・岩手・紫波・稗貫・

和賀の各郡は松代藩真田信濃守、松本藩戸田丹波守の取締り、北・三戸・二戸各郡は津軽越中守の取締所となっ

た。津軽藩については領民の反対運動が激しく、明治二年二月八日黒羽藩大関氏に変更されることになる。

国替について楽観的空気が流れていただけに、藩主以下の驚愕は一通りでなかった。その怨嗟の的は、上京後

も恩典を請うべく奔走していた家老目時隆之進に集中した。帰藩を命ぜられた隆之進は、明治二年二月八日の真

夜中、黒沢尻の本陣鍵屋の庭前に於て屠腹した。白壁には報国と大書された血文字が残されていた。なお終始降