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一、在給人で討死の者へは、香奠五百疋を御手許から軍事掛り目付が申渡し、代官を以て下し置かれる。

但し、その所寺院において七日の回向を行い、俗称井実名を書上げ置くこと。追て聖寿寺において大法会を執行

の節に姓名をお加え下さる。

一、在給人で手負の者へは、慰問のため御肴料三百疋を下され、軍事掛目付が申渡し、代官を以て下し置かれる。

一、農兵奴の者で討死を遂げた節には、身分のない者であるが軍卒のことなので、香奠百疋を軍事掛目付にて代官を

以て下し置かれる。尤も名前を書上げ置き大法会の節にお加え下さる。但し隊の小旗持は農兵〓に准ずる事。

一、同手負の者へは、慰問のため御肴料百疋を下さる事。

一、人夫で手疵のため相果てた者へは、御手当のためその所において御米壱駄を下し置かれる事。

一、同手疵を負い怪我した者へは、同様御米片馬を下し置かれる事

一、陪臣の儀は、討死の者へ御米弐駄を御手当のため下さることは前々の通りである。帯刀をしない従僕で討死の者

へは、御米を人夫に准じて下され、主人又は親類を呼び出し軍事掛目付から趣意を申渡す

この戊辰の役における特殊な例として、九條総督へ貸人として随従し、八月二七日秋田八橋全良寺において殺

害された奈良寅太郎について、明治元年一二月二九日に至り兄礼八に対し、三人扶持に一人扶持を加増の上名跡

を継がせる旨の沙汰があった。また同日、毛馬内御境古人池田佐吉に対し「親佐五右衛門儀、濁川に於て討死に

「覚

付跡役申付くる」との申渡しがあった

○池田佐五右衛門は、九月二五日既に停戦となって守備隊の引揚げ

書』

た濁川村へ、突如として津軽藩兵が攻撃を加

乙放火した際に、戦死したものである。その

後一〇月一七日藩から佐五右衛門に対して