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分の地は、新たに任ぜられた官軍方諸藩による、新しい県治の下に服することとなった。これまでの封建藩主・
藩士の強い支配をうけ続けてきた一般庶民の間に、混乱と動揺の起こるのは当然のことであった
〓部彦太郎の白石国替を阻止しようとする旧領復帰請願運動は、鹿角惣百姓の名目で歎願書が出され、あるい
は盛岡へ訴願のため出向くなどの直接行動も、村々に起こっていた。このような慌しい動きのなかに、南部旧領
のうち津軽越中守取締となった北・三戸・二戸の三郡は、郡民が津軽氏を忌避して騒擾したため、三月二一日
旧二月
黒羽
)その取締は大関美作守
)に代えられたとの知らせが届いた。
九日
藩
奥羽各地の騒然とした事態に対処するため、二年二月行政官は「奥羽人民告諭」を発した。告諭はどのような
倍賞
手順で村々に触れられたか明らかでないが、その原本は今も旧小平村肝入家一
)等に伝えられている。そ
家
の内容は当時新政府の企図した天皇神格化と、広大無辺な叡慮のもとに生活を安んずべしとする天皇中心の政を
強調しながら、結局は、なお不穏の形勢にある奥羽の人民に「かへすかえすもさわぎ立申まじく事」を諭したょ
のであった。
奥羽人民告諭
天子様ハ天照皇太神宮様の御子孫様にて此世の始より日本の主にましまし、神様の御位正一位など国々にあるもみ
天子様より御ゆるし被遊候わけにて、誠に神さまより尊く、一尺の地も一人の民もみな天子様のものにて、日本国の〓
母にましませば、御敵たひいたし候ものハ大名といへども一命を御とり遊され候ても、いささか申分なきはづに候へど
傍注、おんここ
傍注、か
も、叡慮寛大
い)にして右様不心得のものあるハ全教化の不行届故と、勿体なくも御反省
)遊
ろひろくおゝ〓
へりみ
され、会津の如き賊魁(
傍注、ちょ
うほんにん
)すら命を助けたまひ、其外荷担の大名ハわずかに減知所替なと被仰付、家も知〓
も結構に立下され候ハ、此上なき御慈悲ならすや、しかるに百姓も何の辨別もなく彼是騒動いたし候てハ誠に相すみ