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移
またこの年霖雨低温で稲の出穂が遅れたため、七月二〇日
八月二
七日
)米穀の他郷出を差留め、飯料の持賦(〓
動
はその村限りで行うことを達した。前後して毛馬内町検断から、他郷より商人共が沢山牛馬を連れて米穀の直胃
いくるため、毛馬内市中の商買がなくなり迷惑である。このような米穀は差留となったので、毛馬内へ売人をよ
こすよう手配をいただきたいと、近村へ廻状が出されている。
刀月
馬産関係では、二歳駒の〓がこれまで通り実施された。八月一二日
)付毛馬内通馬肝入新五郎、八蔵
七日
名義で在町検断名主衆中宛に、〓御用のため本日役人方が花輪へ着いたので、二歳駒と父馬をいつでも改めの場
所へ牽出せるよう準備すること、引続いて一四日未明にも毛馬内お改め場所へ人馬とも相詰めるようにと達して
いる。なお当日村々の馬喰も詰めることとなり、小平村の馬喰伊八、勇治の名があげられている。
八月一三日には、県調役宮沢善吾からかねて申付けていた村々明細帳を早々に差出すよう、村役人へ達があっ
た。この時期調役は大湯に出張していたらしく、八月一七日付「大湯村より発、盛岡県銅役宮沢善吾」として、
尾去沢銅山より附送の荷がとかく大湯村に滞銅しているのはいかなることか、銅荷運送はこれまで毛馬内通村々
の高割をもって附送してきたもので、その仕来り通りに心得て人馬の割付をし滞銅してはならない。心得違いあ
るときはその村役人の越度とする旨を、毛馬内通村々役人に觸れさせている。
検見・廻村
別記の二歳駒掴や銅荷附送などの例にみられる通り、行政の具体的な運用面は殆ど旧藩の制度
に做って進められていた。旧八月二〇日毛馬内町検断処から村々名主に宛てられた次の觸書も、
ての例である。即ち「御拾分一御役取立て方、八月朔日より検断処に於て取扱い候」と、商品の一割を税として
代官所
徴収していた十分一役の定目がそのまま適用されている。のみならず八月下旬になって旧藩時の役所(
のこと
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