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三、江刺県治下の鹿角

江刺県に入る

一二月

三戸県が廃され、江刺県へ合併となったのは、二年旧一一月二九日(

)のことである。

三一日

円日、江刺県に対し「三戸県廃され、自今其県管轄仰せ付けられ候事」と布告された。この

廃合は、三戸県内に新たに斗南藩三万石

藩主松

平容大

が置かれたため、三戸県として単独に維持できなくなったこ

とによる。かくて鹿角郡はこの時点から四年一一月二日まで、江刺県の治下に入る。

この江刺県合併の情報が鹿角へもたらされたのは、三年正月の末近くなってからと思われる。花輪関村六蔵

『御境御用留』(

石川

家文書

)に次の記事がある。

今般松平慶三郎家名立下され、陸奥国北郡、三戸、二戸郡の内三万石支配仰せ付けられ候事。

一、三戸県廃され、江刺県合併仰せ付けられ候事。

一、村上権知事儀本官を免ぜられ、更に江刺県大参事拝任の事

右の条心得の為相達し候、尤追て引渡し済相達し候迄、先ツ是迄の通り諸事取扱い候条、此段相達する者也。

午正月三戸県御役所

花輪村/村々

これは村上一学が江刺県大参事を拝任したが、追てのことはいずれ引渡事務が済んだ後に知らせるというもの

である。さらに右の達に続くものとして、毛馬内通『御用留』

)に次の一連の記事がある。

今般より其村々当県に於て支配致し候条、其意を得末々迄洩無く相達す可く候也。

午正月江刺県

鹿角郡村々役人/惣百姓