テキストを表示

四、秋田県に入る

秋田県に編入

明治四年(一八七一)一二月一三日

)、鹿角郡は政府の三陸

旧一一

月二日

陸前・陸

中・陸奥

)・両羽(

羽前

羽後

〓.

)。

一、村上江刺縣大参事秋田縣五等官受候事、拝命相成候事。

廃置県の布告により、初めて秋田県の管轄に入った。この政策は、廃藩置県以来大小多様に

錯綜していた行政区を整理し、全国を三府七二県に改廃する一環として行われた。これにともない江刺県は廃県

となった。

この事は、間もなく旧江刺県により次のように布告された(

『明治四年御用留』東北大学国史研究室

顧・『鹿角市史資料編第十六集』所収

一、今般御改正ニ付、三陸両羽磐城岩代諸国従前之諸縣廃せられ更ニ新置之縣相定められ、當郡は秋田縣え合併相成候

事。

一、秋田縣管轄左之通

陸中国鹿角郡、羽後之国平鹿郡、雄勝郡、仙北郡、由利郡、川辺郡、秋田郡、山本郡、以上八郡

右心得として相達候条、小前末々ニ至る迄違漏無く觸達すべきもの也

辛未十二月元江刺縣花輪鹿

新たな秋田県参事として、一二月一三日旧江刺県大参事村上一学

)が、同一八日旧筑前福岡藩士小笠原幹

が任命された。その着任はなかなかはかどらず、同二四日には小笠原参事が入間県参事に転出している。県は鹿

角・由利二郡を編入しての新規発足であったため、当初その事務引継に混乱をきたしたといわれ、翌年二月四日

旧一二月

二六日

)参事に代わり侍従島義勇が秋田県権令に任ぜられて、漸く軌道にのり始めた

鹿角郡にとってこの新県移管は、維新以来度重なる所管県変更の延長として表面的な抵抗もなく、平穏な形で