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(第五則)

螺寡孤獨癈疾等依頼ナキ者ハ、懇切ニ世話イタシ生活ノ道営シムヘキ事。

(第六則)孝子・義僕等凡ソ人ノ模範タルヘキ者、又ハ其業ヲ惰リ俗ヲ敗リ總テ衆人ノ害タルヘキ者ハ

其行状ヲ具シ申出ヘキ事。

第七則)貢納期限遅滞致サゝル様兼テ警戒イタシ置、期限ニ至リ候得ハ伍長組中ヲ精々世話イタスヘキ事。

(第八則)伍中ハ勿論、村内火災・病難、其他一切困厄ノ義ハ、互ニ助ケ合ヒ睦和協救ノ義精々申合スヘシ。

平素産業ニ怠リ遊惰ニ流レ酒色ニ溺ルゝ等ノ者ハ、厚ク説諭ヲ加へ、互ニ切磋シ、風俗敦厚ナラシムルヲ旨トイタスへ

キ事。

第十則)伍長ハ、組内出生・死亡・嫁娶或ハ寄留・他行等ノ義、當人ヨリ正副戸長へ届ケ出ルハ勿論ナレト

モ、其都度篤ト聞糺シ置ヘシ。若後日不都合ノ筋出来スルニ於テハ、伍長ノ責遁ルヘカラサル事。

第十一則)組内無籍・浮浪井ニ尋者等止宿イタサセ速ニ訴出テス、或ハ身元正シカラサル者ノ請人トナリ、又

ハ雇入候者コレ有ルヲ見捨置キ、悪事コレアリ露顕ニ及候時ハ、伍長ノ責タルヘキ事

右の多くの項にわたって伍組、伍長の責任が強調されているのは、中央集権的な行政組織への急激な変革によっ

て、歴史的村落の解体と共同体的慣習の消滅を招き、ひいては郡部に不満と反発の高まることを警戒したもので

あろう。六年七月、県はさらに右の区長以下職務規則の趣旨を徹底させるため「五人組強化ニ付布告」を出し、

同時に大小区制にともなう五人組・伍長名を早急に届出るよう達している

明治初年に鹿角七三カ村といわれた村々は、その後の大小区制実施により七小区四二カ村、八

村の合併

小区二三カ村、九小区五カ村と三つの小区にまとめられ、村々の統合が強制的に行われる形と

なった。しかし大小区制はあくまでも県庁下部組織としての行政区画であり、それ以上の機能を果たすのは無押

なことであった。