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合村願第二大區七小區陸中国鹿角郡

一、高五百拾四石六斗六舛五合小平村

戸数六拾七戸

一、同六百三拾五石貳斗九舛九合小枝指村

戸数八拾壱戸

一、同百五拾壱石弐斗六舛五合寺坂村

戸数三拾八戸

一、同弐百四拾六石四斗五舛壱合新斗米村

戸数拾壱戸

高〆千五百四拾七石六斗五舛

戸数百九十七戸

右村高従前より入組仕分候ニハ村境堺茂不分明故、去春地券取調方相後レニ罷成奉恐入候ニ付、委細其節願書を以奉師

上候通、前村々小平村江合村被仰付被下置候ハゝ、村方一致平穏ニ耕作可仕候、仍而此段奉願上候以上

明治七年三月第二大區七小區小平村惣代

秋田縣権令國司仙吉殿

米田伊助

児玉正二郎

右者本縣久保田ニ而地券證御下ケ渡し之節両人ニ而書上

この願書がその後どのような経過をたどったか明らかでないが、右四カ村は明治九年に合村し平元村となって

いる。

新しい村々

鹿角の村々は、九・一〇両年にわたり一挙に七〇村が二二に減じた。これは、由利郡が二四四

村から一九〇に減じたことと共に、県内における合併の顕著な例とされている(

『秋田県史

第五巻』

)。

)

しかしその合併の期日については必ずしも明確ではない。