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る。運輸の便、人民生活の係る所にして、其中央に膺り大館町を以て尤も樞要の地とす。今北秋田郡々役所を該地に設
け、鹿角郡を組合とするも是又水理地勢の便に因由するものにして、毫も不便の景况なし。尤も従来大小區畫も亦其地
勢に依り皆之を両區に區分し、人民其便を得稍慣習を成したる次第より禀請せるものに之れ有り。若し其一郡なるを以
て必らす一郡役處を置んとせは、徒に其費用を増殖するに止り其便益の効あるを見す。今概して大郡を分畫する一偏、
り之を直論すれは、一應不都合に似たりと雖とも、其實際の景况を量り、地勢人俗の便否と慣習較々成るものとに権衡
取捨を用ゆる所なるを以、其旨趣の所在を御推窮、最前請願の通御詮議相成度、此段重て開申に及ひ候也。
明治十一年十月二十八日
附録・羽後国河邊郡を南秋田郡に組合、陸中國鹿角郡を北秋田郡に組合すへき趣意圭
〔上略)陸中國鹿角郡の地たる、米代川ありて該郡の諸川之に合入し、直に秋田郡に流出し水理の便兩郡相依る。然
れとも藩政の昔日秋田・南部の兩藩各其範圍を異にするを以て空しく交通の便を欠くものあり、置縣以降鹿角全郡秋田
縣所管に屬せしより、景况一変して水理大に開け、運輸交通盛に、両郡為めに其利益を受く。而して北秋田郡樞要の地
大館町より鹿角郡の間陸行六、七里、嶮ならす岨ならす水陸兩なから便にして、車馬舟楫日々相來往す。國郡名異りと
雖とも利益相依り風土民俗略亦相同し。區畫編制の際此兩地を併せて一の大區とし、今に於て其便利に安す。故に北秋
田郡々役所を大館町に置き一郡長をして鹿角郡を兼しむ。是又地勢慣習の二つの者に依る。
鹿角郡町村数一、弐拾壱町村
同郡戸数一、四千七百八拾六戸
同郡人員一、弐萬六千六百七拾五人
同郡反別一、拾七萬千六百四拾三町五反八畝拾八歩
内。七千八百三拾弐町八反九畝拾五歩田畑宅地及未定地共
○拾六萬三千八百拾町六反九畝三歩山林・原野改正未済に付概数を掲るのみ
同郡幅員東西凡四里南北凡九里
右之通に候也
明治十一年十月二十八日秋田〓