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〓省鉱山局に数年間奉職し当時職を解き帰省せしも、爾来未たに三四月経過せしのミにて該郡の景況諸事不案内なれば

日んじて撰挙に応じ難き故を以て辞退され、又勝又氏には病を以て辞せられたるより、本月十二日長年寺に於て又も撰

挙会を開きしに高点は中津山富右衛門次点は川村左学にてありしと

第六回県会議員(

二〇年

一一月

は、中津山延賢の留任、湯瀬哲太郎の再選に加え、新たに佐藤要之助が選出された。

湯瀬哲太郎は二〇年一二月大久保鉄作議長のもとで常置委員に選ばれたが、県会役員をめぐる激しい勢力争いは

翌年四月臨時県会における役員の改選にまで発展した。その結果議長始め殆どの役員が入れ替り、湯瀬哲太郎、

三浦盛徳(

〓)らを先頭に一六名の退場者をだすという一幕もあったという。二一年一二月通常県会は議会軽視

等を理由として青山貞知事不信任決議をあげ、議案全部を否決した。知事は二二年一月県会議員の解散を通達し、

一般に告示した。この解散によって、二月一一日の記念すべき帝国憲法発布式典に県民を代表して出席すべき県

会議長が空席となり、千載一遇の機会を失なったとして県民の顰蹙を買った。解散後の選挙は、鹿角郡では三月

初旬行われた。初めての総改選であり、やがて二三年実施の衆議院議員選挙の前哨戦をなす意味もあったため、

その様相には特に激しいものがあった。

第七回県会議員

二二年

四月

〓)は、勝又、湯瀬、佐藤が再選された。初めの臨時県会において湯瀬哲太郎が常置委

員に選ばれている。