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一、今般大陰暦ヲ廃シ太陽暦ノ御頒行相成候ニ付、来ル十二月三日ヲ以明治六年一月一日ト定メラレ候事。

一、一ケ年三百六十五日、十二ケ月ニ分チ、四年毎ニ一日ノ閏ヲ置キ候事

、時刻之儀是迄長短ニ随ヒ、十二時ニ相分ケ候処、今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ、子ノ刻ヨリ午刻迄

十二時ニ分チ午前幾時ト稱シ、子ノ刻迄十二時ニ分チ午後幾時ト稱シ候事。

一、時鐘之儀、来ル一月一日ヨリ右時刻ニ限る可キ事。

鹿角の第二小区戸長処では、これを一一月二七日に各村々へ順達している。布告にみえる時鐘は、その頃各地に

宮城一杉著・

行われたもので、『花輪町史』

)によると、花輪南館の時鐘は長年寺の所有で、明治五年戸長大里

昭和三二年

寿が同処に鐘楼を設け、住吉神社別当の黒沢嘉門に命じて時鐘を打たせ南鹿角一帯に時刻を告げたとしている。

また同書年表に、六年一月一日太陽暦施行記念に南館の時鐘にて時間を告ぐともある。しかしその前年、前掲

『御触帳』四年四月一八日の記事に『今般御時鐘突堂御建候ニ付、鐘突堂之屋根井ニ鐘突之者居小屋三間ニ四問

之屋根ニ相用イ候ニ付」云々とみえる。この鐘突堂を花輪のものとすれば、すでに江刺県管下花輪通郡長関村新

蔵の時に、建立が行われていたことになる。

なお、この改暦にあたり、左の布告が発せられている(

前掲『御

触帳』

)

)。

今般改暦ニ付人日、上已、端午、七夕、重陽五節句ヲ廃シ、一月廿九日神武天皇即位日、十一月十一日天長節両日ヲ

以、自今祝日ト定メラレ候事。

明治六年癸酉一月四日太政官

自今休暇左之通リ定メラレ候事。

月一日より三日迄六月二十八日より三十日迄十二月二十九日より三十一日迄

毎月休暇是迄之通、但大ノ月三十一日ハ休日ニ非ス。