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)。

民戸口が明瞭でなくては教育も行届かず、実に民政の礎である、と述べていることにも明らかである(〓

『御用留』倍)

賞家文書

全国統一の内容と形式をもつ戸籍は、四年四月太政官布告の戸籍編製法によるいわゆる壬申戸籍であるが、そこ

に至る迄の経緯を市内に残る『御用留』の類からたどってみる。

二年一二月すでに「戸籍編成例目」が鹿角の村々にも示されていることは、新政府がいち早くこの事業にとり

組もうとしたあらわれである。同例目には、戸籍は貴賤の別や官位の有無に関りなく、天下人民すべて体裁を統

一し、家長をもって戸主とする、と述べられている。それは新しい戸籍が、幕藩時代の宗門改帳や寺請帳の

もつ身分別・族別を改めて、四民平等と、戸主を長とする家の制度の確立、さらに居住地別に編成する方向をと

る姿勢を明らかにしたものといえる。

戸籍作成がすべての人民にわたるよう、例えば三年正月太政官は、先年から旧籍を脱けて流浪している者に対

し、府藩県は前罪を糺すことなく旧籍に引取り、生活の立つよう取計うべきことを布令した

前掲『御

用留』

)。またこ

れまでの宗門改帳等に宗旨を何宗何寺旦那と記していたのを改め、その村々鎮守の神の氏子と書上げることを、

次のように達している一

明治三年『御用留』・『鹿角・

市史資料編第十六集』所収

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)。

先般戸籍調雛形を以て、宗旨之儀、何宗何寺旦那と相記し申す可き旨仰せ出され候処、以後宗旨は相除き、其村町鎮

守之神と何神之氏子と相記し申す可き旨更に仰せ出され候間、未タ書上げ済み申さず候分は右ニ随ヒ申し可く、既ニ書

上済み候分は、何神之氏子ニ相成候と申す儀、来ル晦日迄検断処江書上げ申す可き事。

但し神佛混淆之神、或は来歴不分明之神々氏子ニ相成リ候儀は御禁止之事

別紙之通り御達御座候間、御銘々承知申さる可く候。以ト

(午)七月廿八日(毛馬内町)検断話

下小路中/古町中