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壬申戸籍

四年四月、政府は新たに全国統一の戸籍法を定めた。この戸籍は翌壬申五年中に一応完了をみ

たので、後に「壬申戸籍」とよばれる。編成にはとくに区制を設けもっぱら戸長に担当させた

こと、形式は身分別に分けず、同区域内一連の屋敷番号を附して編成したこと、同戸内の列次を一定し、戸主は

のち牛

先代との関係を明らかにし、家族も続柄や年令(

)を記載するなどの特徴をそなえていた。

年月日

この戸籍法改正に関連してその後もしばしば通達が出され、例えば四年九月江刺県花輪庁は、地方より官員と

して出仕している者等がこれまで地名代と唱え別名を用いてきたが、この度改正につき「以来壱人両名差止、都

て正姓相用う可き事」を村々役人に達している。さらに翌一〇月大蔵省から、従来の宗門人別帳は廃止したので

差出しに及ばぬこと、同じ太政官より、社寺召抱の譜代家来共は早々農商の民籍に入れるよう再度布告を出して

いる。これらのこと等からみても、新たな戸籍の実施は決して容易なことではなかったのである

「御触帳

ほか

)。

なお壬申戸籍の具体例については、昭和四三年以降法務省により一般の閲覧を禁じる措置がとられているので

差障りのないよう筆者の生家の分を左に掲げる。

陸中国鹿角郡倉澤村拾弐番屋布居住

農父小平亡安村茂八壬申年四十五

冨村農安村新蔵亡長女母フツ年七十三

當村農木村弥右エ門伯母妻マツ年四十

妻マツ年四十

長男安村吉太郎年二十六

次男安村丹蔵年十四

當郡腰廻村農目時多助孫長男吉太郎妻サン年十八

氏神(記載なし)

寺當郡大湯村曹洞宗大円寺