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徴兵令
明治政府のめざした近代国家化のもう一つの大きい目標は、徴兵制度の確立である。それは封建
秋田県
制下の藩兵組織を否定し、それに代わる国家としての近代的軍隊を創設することであった。
明治五年着々と準備を進めていた政府は、同年一一月二八日「全国徴兵の詔」と、太政官による「徴兵告諭」
を示し、翌六年一月に「徴兵令」が公布された。これをうけて秋田県は次のような布告を出している。
(管下四民ノ内歩兵望ノ者四十八名仙臺鎮臺召集申付候旨御達相成候条、別紙概則ニ照準致シ望ノ者当月二十日限願司
申出事。(但書省略)
明治六年二月秋田県
鎮臺召集兵卒検査概則
此概則鎮臺召集ノ為相定候義ニテ将来ノ条例ニ管セサルモノトス。
、身体強壮ナルモノ縣下病院ニテ一ト通リ検査ヲ受ヘシ。
一、年齢ハ二十歳以上三十歳以下タルヘシ。
、身ノ丈曲尺ニテ五尺以上ノ者タルヘシ。
一、自家ノ産業ニ於テ故障ナキモノ。
兵卒誓文
一、朝廷ノ為身命ヲ捨テ奉仕致シ可申事。
、兵部省ヨリ被仰出候御規則及時々御布令等固ク相守リ可申事。
一、私ノ故障ヲ以テ妄ニ退営願出申間舗事。
右ノ條々固ク相守リ聊モ違背仕間敷依為後證如件。
年號月日何番小隊何某
(『御布令留』・松宮氏所蔵岩泉家文書)
いかに士農身分の差別なく四民平等の世となったとはいえ、わずか数年にして全国の壮丁をことごとく兵籍〓
編入するという徴兵令は、国民に大きな不安と動揺を与えた。鹿角の人々の間にも当然不安の輪が広がったと思