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第11表明治4~17年逃亡

失踪人数

「已亡失綜人名簿」により作製

秋用地方中の研究から引用

第12表明治4~17年中の

職業別逃亡失踪人数

(同上」

第13表鹿角郡内町村別逃亡

失踪人数

『舊兵失察者人名簿・秋田県」により

製.『秋田地方史の研究」より引用

いことからも窺い知られる。鉱山においての徴兵該

当年令者はちょうど一家の経済の担い手であり、そ

の入営は家の生計の浮沈にかかわる痛手となった。

このことは農業のうちで、とくに小作人層に失踪逃

亡人の多かったことと、軌を一にしている。しかし

その反面、貧農の二三男が、軍隊に入れば米の飯が

喰えるとして志願する者も多かったという、きびしい現実も伝えられている。

やがて、次第に対外戦争の危機を増すにしたがい、徴兵令の改正が逐次行われ、その免役代人の規定も廃止さ

れ、国民皆兵の原則が確立していった。

毛馬内に残る明治八年『徴兵調袖扣』

田口家蔵・『毛馬

内郷土史資料〓』所収

には、当時における徴兵調の手順をおおむね次の

ように書留めている。翌年分の徴兵事務について、まず八年一〇月から各区正副戸長に対し、次のような布告が