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対象を売買譲渡の分に限り、即ち「田畑買売願出之向ニ依、其地一ト筆限高反別相認メ、別紙ヲ以申上可キ事」
明治四年毛馬内
通『御用留』
〓)として、村々の里正・組頭らにその調査を命じた。七月に至ってその方針を転じ、田畑売買の者
ほかりでなく地所所持の者すべてに地券を付与すること、かつ一〇月までに処理を完了すべきことと改めた。か
くて全土地についての地券発行となったが、これが世にいう壬申地券である。八月、県はこれを受けて「八郡古
田畑山林屋鋪共地之厚薄ニ寄代価高下あり、依て一村限戸長奥印を以、来ル九月十日限り左ノ通リ取調、租税課
『御布告留』阿
地券係江差出し可く候事」という達を雛形と共に伝達した
。なお県は一〇月の完了は至難とし
部家文書
て、その延期方を申請したが許可されなかった。
同年九月県は地券取調について、その趣旨徹底をはかるため「地券発行ニ付告諭書」を発した。その内容は
この度の地券発行の趣旨は、年来の旧習を一洗し人民の束縛を解き、それぞれ自由の理を得させるためのもので
ある。地券所持の上は地主たることが明白となり、自由に土地の利用と売買ができる。各自は少しの懸念も持つ
ことなく、土地に不当の値を付けださぬよう心得、下民を憐れんでのことという趣旨をよく弁えるよう、説いた
ものであった。
一小区
一二月、県は花輪大里寿一
三小区
戸長
)、毛馬内鎌田倉吉(
)を地券係に命じた。また『御布告留』
阿部隆之
介家文書
副戸長
によると、翌六年一月第四小区内では次の人々が地券取調のため老名に任命されている。
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谷内村阿部仁左衛門長嶺村阿部市平川部村山口六平夏井村田中六助長牛村綱木徳肋
白欠村綱木昌右衛門長内村佐藤甚蔵三ケ田村阿部喜之助石鳥谷村渡部喜助松館村似鳥作右衛門
尾去村高田治郎吉三ツ矢澤村渡部助四郎