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しかし取調はなかなか進捗しなかったらしく、二小区『戸長執務日記』断片
一のなかに、三月二四日
浅井小魚
収集文書
付で大館地券係から七大区正副戸長へ宛てた督促状「過日巡回ノ節地券取調方篤ト申談示置候、然ニ今以テ一村
モ指出ズ、諸村江督促速ニ出来候様勉励之レ有ル可キ者也」が写されている。次いで同月二七日次のような達が
あった。地券取調は今日の急務で日限もきめられているのに、一日一日と延滞し不都合であるので、今般県庁向
い前小屋安右衛門宅に地券取調席を設けた。村々の取調が遅延すれば村費も少なからず、また日限に遅れては券
状も頂戴できず、村方の迷惑容易ならざることである。来る四月五日迄にできる見込の村はよいが、それに遅れ
る見込の村方は大館町に宿泊し毎日取調席へ出張し完了しなければならない云々。県として非常手段に訴えざる
を得なかった、焦燥ぶりが想像される。同九日の記事には、たとえ一村であっても出来次第速かに差出すこと、
また村方で総計の算入が難かしければ総計なしでも差し出すように、とも書かれている。
一方、村々で地券取調関係に要した費用も決して少なくなかった。例えば四小区内三ケ田村における入費は、
明治六年八月『地券取調井川欠荒地御見分御廻村入費調帳』
阿部
家文書
)によると、次の通りである。
御役所ニ而取調中筆墨紙代
拾五貫長年寺御礼
一、六百四拾七貫三百六拾弐文地券調入費
内百九拾八貫七百四拾六文
三月十二日より四月十日迄入費
百八拾弐貫八百九拾壱文
四月十四日より五月十一日迄入費
弐拾八貫五拾弐文
百三拾九貫八百七拾三文
長年寺ニ而通し筆墨紙〆高
八拾弐貫八百文
長年寺雇銭但六十九人
別帳によると、御物書人数として帳簿作製に当たった者はのべ六九人、一人に付一貫二〇〇文ずつを支払った。
また取調中四月一四日から五月一日までの一五日間、花輪長年寺にて調製の作業に当たり、御礼として一五貫文