テキストを表示

を納めている。地券台帳は長嶺村分(

阿部

氏所蔵

)等が残っているが、一冊だけでも相当に分厚いものである。

村々が地券取調・絵図面作製を済ませ、提出を完了したのはいつであったのか、今のところ明記したものがな

い。県は、六年七月地租改正条例公布の時点では県内ほとんどの村について、その台帳調製をおわり地券状渡し

済か渡し方準備を完了していた(

『秋田県史

第五巻』』

)。しかし同年八月二四日県庁焼失の災厄にあい、一部を焼失してい

阿部

る。三ケ田村の明治七年『村諸入費取調書上元帳』

)の中に「銭弐百弐貫四百七文地券證焼失ニ付

家文書

書替入費」の項がみえるので、鹿角関係分もその厄にあったのであろう。

五年二月の「地券渡方規則」にもとずく地券の授与は、とりもなおさず全国一率の近代的税法

を確立しようとする準備であった。続いて六年七月「地租改正条例」が公布され、調査の細目

等について大蔵省から「地租改正施行規則」「地方官心得書」が示達された。地租改正はまさしく明治の全国総

検地ともいうべき大事業であった。

政府は初めから難事業であることを認め、条例の第一章に「今般地租改正の儀は、容易ならざる事業に付、実

際に於て反覆審按の上調査致す可し。(略)各地方其一時改正出来難きは勿論に付、必ずしも成功の速なるを要

せず云々と、その心得を諭している。この地租改正の眼目とするところは、旧来の田畑貢納の法をすべて廃止し、

土地の広狭を量り、地価を決定し、固定税率による課税を行なうという点にあったが、さらに、その内容を整理

すれば、次の諸点を挙げることができる。

地租改正

〓新税は地価に基ずいて行ない、作柄の豊凶によって減税はしない。

〓田畑は耕地と改称し、其他の山林・原野などはその名目によって称える。家作ある地は宅地と呼称する。