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谷八郎右衛門が県の地租改正鑑定人を命ぜられたため、その後任として毛馬内の中津山富右衛門が選ばれた。
総代人らは八日間の地籍調査の実地講習を受けた。帰郷するや各小区の地租改正係戸長、各村伍長総代らを集
めて調査方法の伝達を行ない、さらに村々の担当者をきめるなどの諸準備にかかった。やがて積雪期に入ったの
で、実際の丈量一
田地の測量
および検地
)に着手したのはほとんど翌九年の春になってからと思われる。
刀年二月、毛馬内村岩泉達蔵は七小区扱所から「錦木村伍長総代ニテ専ラ地籍改正取調担当」を命ぜられた。
岩泉はその後の取調状況を、あらまし次のように述べている(
)。
岩泉達蔵『地租改正諸事扣』、伊藤良
二『毛馬内郷土史資料明治編』所収
二月二七日、毛馬内村総代の豊口唯志から廻状がき、戸長中津山も出席し、それぞれ協議を交した
二月八日、瀬田石村に境木を建てるというので、伍長湯澤助蔵、錦木村惣代荒川八右衛門と三人で立会った。但し小
田切番押に昨日から取りかかったとの申出があった。
三月一二日、勝又平太郎と相談し、柴田巳太郎を当村へ雇入れることにした。荒川村総代石垣和吉と相談の上村方半
治、万谷村内田慎吾所持地境見分のため石垣と二名で出張した。
三月一三日、小田切番押について五間屋村黒澤六助宅にて大森、賀川、田口と四名で終日協議し、夜帰宅した。
三月一四日、松山村地籍担当総代豊口儀助からの廻状で出向き、八名協議の上で作成した扱所宛の伺書を、勝又平大
郎から提出することとした。
三月一五日、地租改正懸り官員佐川陽之助、宮城県より雇入れの四名による伝習が、毛馬内曹洞の下で行なわれた。
三月一六日、浜田村田口傳四郎宅へ出張、調査要員の七名と測量丈量組立について立案した。
三月一七日、測量丈量組立を扱所へ提出した帰路、賀川祐五郎、上田元吉、大森辰五郎、田口傳三郎、澤田仁太郎
池田市蔵の六名でさらに協議を重ねた。
三月一八日、宮城県下雇入三人の伝習があるというので、七人協議の上出頭し十字伝習を受けた。村方七人の出来が
よいということで大慶であった。戸長中津山七小区地租改正取調掛豊口太郎も出席された。
三月一九日、先日提出した伺書に附箋がついて返されたことを勝又平太郎、太田佐吉が知らせに来た。早速廻状を豊
口唯志、山本喜七、豊口儀助へ届け、八名連印の上申書を扱所へ差出すことにした。