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○第二大区七小区錦木村地籍調日課表
九年四月天気改正反別人員
十一日晴五反五畝歩九十三人
十二日雨小田切三十三人
十三日雨同三十三人
十四日晴五町五畝歩九十二人
十五日雨五町七畝歩九十二人
小計
晴三日
雨三日
十五町一反七畝歩四百六人
十六日ヨリ二十日マデ
小計晴五日二十五町五反五畝十歩八百二十三人
明治九年四月二十一日錦木村伍長総代岩泉達誌
地租改正係佐川陽之助殿
各村々の調査作業の進行ぶりは、地籍調担当伍長総代によって一〇日ごとに大区地租改正係へ報告されていた
当時紀国
ものとみえる。当時の錦木村は、米代川左岸一帯の末広村一
)と右岸の室田村を除いた、残りの地域で
村を称す
あった。その錦木村の地租改正時の耕地反別は、田反別二三一町二反二七歩、畑一四〇町九反九畝九歩で、宅拙
反別は一八町九反五歩であった(
曲田慶吉『錦
木村郷土史』
)から、一村だけでも多くの日数と人員を要したことであろう。
かくて一筆ごとの測量により、字ごとの「地引切畫図」がまとめられ、これをもとに所有者、隣接者、耕作者
等の立合のもとに、縦・横の間数を測って「地引帳」が作成された。「地引帳」は、本来検地の準備のため作成
された帳簿のことをいう。