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石の表中、「紀国」とあるのは、当時土深井村、大欠村、松山村、神田村を一村とし、古くから聞えていた紀
ノ国坂の名を冠して一時的に紀ノ国村と称したことによる。
村位等級決定の次に取組まねばならない事業は、田畑宅地の収穫量の決定であった。村等位と併せてこの収穫
見積が地価算出の基礎となる。県は九年一一月、正副区戸長、地租改正正副総代人に命じ、小区中一村限り一反
当の収穫見込を提出させた。さらに一〇年一月「田畑宅地収穫地価調成順序」を公布し、村位等級表に準拠しつ
つ、その等級別に収穫量をはり付ける方式をとることを指示した。その決定は一応正副戸長、地租改正鑑定人、
同正副総代人および一小区毎選出総代人の会議の結果にまつこととしたが、しかしその会議決議による大区平均
収穫量と県の独自調査による収穫量との差異には、あまりにも大きいものがあった。例えば一大区(
南秋田郡
・河辺郡
)に
おいては県提示平均反米「一石二斗八升〇合」に対し大区上申収穫米「四斗四升三合」、二大区
北秋田郡
・鹿角郡
)は同
じく県「一石九升」に対し大区「五斗六升四合」という有様であった。
この両者の見積数字の差をどのように近づけ少なくするか、終始紛糾を重ねたが、結局各等級別収穫量を細分
して、田方は四四等に、畑方は四〇等に、宅地は二五等に定め、これに各大区別村々を配置することとし、会議
は一〇年九月その最終決議をまとめた。
鹿角郡の田方は、村位等級表によると最上が「七花輪村」、最下が「十九上向村」で、それぞれの一反当り収
穫量は「七」は二六等級一石九升一合(この地価二二円八九銭四厘余)、「十九」が四二等級五斗一合(地価
○円四五銭六厘内)にあたる。畑方では最上が「七紀国村」「七花輪村」でともに一一等級四斗四升五合(地価
八円四九銭四厘余)、最下が「二十上向村」一斗六升一合(地価二円九三銭三厘内)となる。宅地地価は、最上