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が「一花輪村」二六円三二銭六厘、最下が「十八上向村」六円五八銭二厘であった。

第8図地券(阿部家蔵)

こうして、田畑宅地に関する調査の事業は、一応結着をみた。次の段階は、その等級に応じた新たな地価地和

の決定である。当初県の示した税額表をめぐり地主総代等の反論が相次いだので、県令石田英吉は各大区を巡回

し、各村の地主総代を召集して地価地租についての説得に努めた。その結果ほとんど原案通りの決定にこぎつけ

総代人等の請印を得て一〇月二三日この事業を完了するに至った。また耕宅地については一二月一七日付で政府

の許可指令を受け、次いで一一年五月山林原野の改租調査に着手、翌一二年一一月その許可指令を受けた

これをうけて各村では、地価帳ならびに地券台帳の編成にかかり、

筆ごとに等級及び地価表に基づく地価を定めたのち、地券台帳によって

地券」の発行事務を進めた。初め地租の課税率は三%であったが、

○年一月四日の「地租を減ずる詔書」によって二・五%に引き下げられ

たため、地券台帳の再調成などもあったが、地券は先に交付した明治六

年の旧地券と引替にそれぞれの土地所有者に渡された。県全体からみて、

大量の地券状の公布も、耕宅地は一二年六月、市街宅地は同年一一月、

山林原野は一三年七月をもってすべて完了している。鹿角郡におけるそ

の結果をみると第一五表の通りである

橋本宗彦『秋田・

沿革史大成』』

)

)。

地券台帳の調成に関し、秋田退邇新聞(

明治一二年

二月二日付

に「鹿角郡弐拾弐ケ

村○差出済前同断(

二二ケ村と

いうことか

一○掛出、廿二ケ村四万九千八