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の探査方を依頼された。五日朝、毛馬内の豊口唯志を訪問し、自分は太古一味で川村甚八郎の頼みで来た旨

を偽り告げた。唯志は安心できない様子で、そんな話もあるそうだが何も知らないと言う。そこで自分は親友の

桝田善蔵と相談の上で訪ねたのだと言って、その証しには桝田から得た檄文

小田為

綱起草

)を示したところようやく

甚八

安堵の色をみせた。しかし先月一九日豊口仲之助、内藤新八が来てともに川村

)邸に会合したというほか

は口を秘して語らなかった。帰宿して間もなく平尾橘陸、内藤新八が来訪し、川村邸の議定の内容と四月二五口

決行を川村が真田太古を諌止し延期させたこと、青森、弘前を煽動のため豊口仲之助、黒澤繁治外二名が太古に

従い青森に行こうとしていることを語った。そこへ大森与兵衛が使いをよこしたので内藤とともに大森宅を訪ね

ると、豊口唯志がいた。唯志は疑いを解いたと言い、こちらの問いに対して盛岡の領袖は原数馬と山田仙弥であ

ることや銃器弾薬などについて、すらすらと答えてくれた。傍から橘陸は、秋田に跡部

の余党と茂木の徒

党がいる、八戸には川村定治を遣ったがつづいて関庄次郎、曲田熊次郎を遣ろうとしていると語った。

下斗米与八郎はその後も内藤新八・平尾橘陸へ敵味方の識別、服装、兵の配置と進路をたずね、毛馬内に入

て金銀山を掠奪し、一手は花輪に進んで銅山を奪い銅砲を鋳造、盛岡から仙台に進み鎮台兵を破って庄内、若松

を煽動し東京に入る計画であることを聞きとった。次いで高橋嘉八と面談し、盛岡の情勢を探ろうとしたが、そ

れは得られなかった。下斗米は、九日福岡に帰り一切を県に急報した一

『岩手県政

物語』昭三

)。

五月一二日から数日のうちに検挙された者は、毛馬内村・内藤新八郎、青山庄治郎、平尾吉六、勝又庄助、馬

渕嘉助、大森与兵衛、瀧其衛、石川儀兵衛、豊口唯志、豊口仲之助、高橋嘉八郎、黒沢繁治の一三名であった。

国事犯として捕縛された真田太古連累の者は、弘前裁判所において審問の上、一一年三月次の処断をうけた