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になって日頃欝勃たる憤懣繊に触発した結果ででもあろうか。毛馬内では、豊口唯志らを中心とする血気の青年達

によるトヤ事件として語り伝えている一

伊藤良三

『郷土読本』

明治初期におこった自由民権運動は、とりもなおさず国会開設・憲法制定など民主主義的

自由民権の黎明

政治の実現を要求するものであった。自由民権の思想は、板垣退助・後藤象二郎らによっ

こ、七年一月民選議院設立建白書の提出がなされると、論争をともないつつ次第に全国へ波及していった

当時の民権論者のほとんどを士族層が占めていたといわれ、その風潮は鹿角においても同様であった。しかし

当初多くの人々は民権の思想そのものさえ理解することができず、前述のように台湾の征討の挙があれば進んで

従軍を志願したり、西南の役に呼応することを慫慂されればその謀議に参加し、また旧主のすすめによって政府

側の新撰旅団に応募するなど、それぞれその心情のおもむくままに相定まらざるものがあった。

新しい時代を迎えて、自由・平等の思想にめざめつつ理想の炬火をかかげようとするのは、つねに青年であっ

〓。戊辰の挫折と失意のなかから、先ず西洋の思潮と信仰を吸収しようとして行動をおこした鹿角の一部青年た

ちに、その典型をみることができる。わが国が諸外国からの強い要求をうけて、国内の切支丹禁制の高札を撤去

したのは明治六年二月のことであった。それからまもない一〇年前後、江刺家其太なる人が毛馬内村高田の湯瀬

哲太

)家の二階を借りてギリシア正教の伝導に従事していた

浅井小魚ノートの内

「千葉先生伝資料」

○江刺家其太は三戸郡相内村

)人で、六年一二月青森県がギリシア正教徒の反政府的動向を察知し、三戸士族ら一二名に対し棄教かもしくは

政治活動に関与しないことを誓約する反正証書の提出を迫った際、江刺家其太、川村定次郎、宮喜代太の三名が

断然これを拒否した、という経歴の持主である。なおまた川村定次郎はかの真田大古事件において三戸の中心人

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