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第三節新しい町村制
一、二町六カ村となる
市町村制の公布
明治一七年(一八八四)に戸長役場の数が大きく減少した。次いで二一年四月法律第一号
"制町村制の公布をみるに至って、町村の合併はさらに進んだ。この制度の実現には内務
大臣山県有朋を中心に、内閣顧問ドイツ人アルバート・モッセがあずかって力があり、プロシアの地方自治を横
範にしたといわれる。
市町村制は、わが国に初めて完成した自治制度として、これまでの伝統的色彩の濃かった地方行政を一変さ〓
るものであった。公布とともに発表された内務大臣の談話は「民衆として、地方行政を自治自掌せしむる為め
参政の思想を暢達せしめ、地方公共の利益を図るの精神を湧起せしめ」「然らば自治制は、将来立憲の制を採り、
国家百代の基礎を立つるの根底たるべきものとす」と説いて、ようやく政治日程にのぼりつつあった憲法発布、
立憲政体移行への準備をなすものであることを示している。
市制町村制の特色をあげると、まず市町村は公法人としての性格をもつ自治団体であること。市町村民は、公
民とたんなる住民とにはっきり区別され、公民のみが参政権をもつものであること。即ち公民とは、満二五才以
上の帝国臣民たる男子で、一戸を構えかつ二年以上市町村の住民となり、その市町村内で地租もしくは直接国税