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三二年府県制郡制の改正により、複選制と大地主制はわずか一〇年足らずで廃止された。県会議員の被選挙資

格は直接国税一〇円以上、選挙資格同三円以上の直接選挙となり、有権者が拡大した。しかし地方制度が依然と

して地主、土地所有者を根幹としていることは、被選挙権が県会は一〇円以上郡会は五円以上と制限され、選益

権もまた共通して三円以上の納税者に限定されている事情から十分によみとることができる。

政争の激化

臼会開設、初の国会議員選挙を目前に控え、二三年に入っての地方政局は次第に緊迫してきた

中央において政党政治をめざす大同団結運動が分裂し、各党派の動きは混沌としていた。本県

では、二二年九月に旧自由党系を主とする秋田大同倶楽部が結成されて、その常議員に鹿角から湯瀬哲太郎が選

ばれ、また時を同じくして保守系の秋田中正党の結党をみ、幹部として鹿角の小田島由義、勝又平太郎が参加し

ていた。

第一回衆議院議員の選挙日はすでに二三年七月一日と決められ、各党派は党員獲得の政談演説会を諸方に開い

て気勢をあげていた。鹿角郡の政情について、そのあらましは当時の秋田魁新報の記事から知ることができる。

但しその頃の同紙は殆ど大同派の機関誌的存在であったので、その点は考慮に入れねばならない。次の文は、同

紙から要旨を拾ったものである。

○諏訪音治氏の談話

治氏の談話何故に余が中正党を脱したかといえば、政党は運動を活発にして社会の幸福を進むることこ

そ主眼であるが、同党生まれて七八カ月を経るも、何一つ社会の問題を辯論したことがない。(二二年三月二六日付。

○大同派運動彙報

報この程北秋田郡の荒谷桂吉、山田猪太郎、千葉、沼田四氏にて鹿角各地を巡回遊説した。一六

口沼田、千葉両氏は政談演説準備の為毛馬内町に来り、一七日小坂村に赴き有志と談話し同村一泊、翌日毛馬内に還る。

京谷、山田両氏は一七日大湯村に赴き諏訪音治、千葉佐惣治外数名の有志と前途の運動を議し、翌一八日毛馬内に入り