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第一回衆議院議員選挙は、第二選挙区(

山本・北秋

田・鹿角

)において中正党は成田直衛を推したのに対し、大同派は初

め三郡倶楽部(

柑水倶楽部という。湖

水とは米代川のこと

〓)を結成し候補者を横山勇喜に定めたが、のちに分派行動が起こって横山のほ

か荒谷桂吉、畠山雄三、三浦盛徳、さらに児玉高致と乱立したため、結果は成田直衛の当選、横山勇喜次点とい

うことに終わった。

板垣退助らの来郡

ての後の県内政界は、中央における自由革新各党派の大合同運動に呼応しつつ、それぞ

れ主導権をめぐる争いが活発に展開された。

第一回選挙まもない二三年八月二六日、新政党組織をうたう東北七州有志大懇親会が上野公園桜雲台に開かれ

本県からは山田猪太郎、成田直衛、荒谷桂吉、町田忠治等多数が参加した。なかに毛馬内・内藤虎次郎

のち

湖南

の名もみえる。またこの会において、県人では町田忠治、内藤虎次郎が登壇して演説したことが報道されている

)。

(秋田魁新報・明治二

三年九月三日記事

中央において同年九月一五日、旧自由党、旧大同倶楽部、旧愛国公党等の合同による立憲自由党の結党が実現

したが、関連して秋田魁新報(

同年九月

一九日付

)は「鹿角郡の自由主義者諏訪音治、小田島卯助、佐々木文太郎等の諸

氏発起人となり、同郡花輪町に於て盛大なる会合を催し立憲自由党を祝さるる由」と報じている。また同紙

同年一二月

)は、一一月二八日毛馬内小学校において勅語奉読式並びに国会開院日祝典を挙げた後、町会議員、

その他有志が当地迎陽楼に登り饗宴を開いた。平生当地は立憲自由党と中正党の二派に分れ軋轢ただならざるに

も拘らず、この日は打解け各自「権利得有の創始日」なることを祝った、としている。

立憲自由

二四年七月二六日午後六時、自由党

総理伯爵板垣退助が遊説のため鹿角に入った。諏訪音治、関

一二日付

党の改称