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廣路が大館まで出迎え、多数の有志が鶴田、狐平の辺りに出向いて歓迎するなかを一行の花輪に着くや、狼煙が

あがり自由万歳・板垣伯万歳の旗が飜った。旅宿を桝屋宅に定めたが、同家の軒にも板垣伯万歳の燈籠が吊られ、

時ならぬ祭典の景であったという。翌二七日演説会場の長年寺に集まるもの一千余名と聞え、桜田

忠蔵

)、溝

口市次郎、武石敬治、河野廣中が次々に弁舌を振い、最後に悠々板垣退助の登壇するや拍手〓采がなりやまなかっ

た。終わって百余名の有志による歓迎懇親会が恩徳寺に開かれ、盛況をきわめた。翌二八日板垣伯の一行は、弘

前へ向かって出発した

秋田魁、二四)

年八月四日付

)。

西郷従道の来郡

ての後の郡の政情は、引続き自由党系と中正党との激しい争いとなっていた。二四年八日

呆会議員総改選に当たり、もっぱら中正党の泉沢熊之助、豊口辨治と自由党の諏訪音治、

佐々木文太郎のうちからとの予想に反し、中正党勝又平太郎、合同派湯瀬哲太郎の選出となった。依然中正党の

勢力の強かったことを示している。

二四年一二月衆議院が解散し、翌二五年二月の総選挙において、官吏による選挙干捗が公然と行われる事態を

生じた。その後の政局は、野党の自由革新各派を民党とし、政府与党を吏権党と称し、激しく対立することにな

る。本県第二区

山本・北秋

田・鹿角

)は自由派の荒谷桂吉が当選し、荒谷は選挙後まもない二月二四日の花輪政談演説会

に臨んでいる。その模様は、秋田魁新報

二五年三

月一日付

)によると、長年寺を会場とし傍聴者六〇〇人、佐々木文太

郎の開会挨拶につづき山田猪太郎、桜田忠蔵、荒谷代議士の順に登壇、民党の主義方略について弁じた。のち高

杉寅五郎工場にて当選祝賀会を開き、佐々木、諏訪

)を会主とし一二〇余名の参加と報ぜられた。荒谷は同

年八月一六日にも、関善次郎の別荘で議会の報告会を開いている。