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二五年九月八日、選挙干捗の松方内閣最初の内務大臣

二四年六月品川

弥二郎と更迭

二五年

)で、のち一

)品川弥二郎らと吏党

六月

派の国民協会を結成した西郷従道伯爵の一行が鹿角に入った。午後五時人力車一五、六輛を連ね、毛馬内の山本

喜七宅に着いた。有志は町の入口に歓迎のアーチを設け、元勲西郷伯待遇大懇親会を午後一時より開くと予定し

ていたが、会場豊口竹五郎宅への到着は午後九時に近かった。西郷伯は謝辞とともに産業と政治は大関係がある

との演説を行い、二名の弁士ののち宴に移った。興にまかせ伯はからめ節を踊り、一一時頃会場を引きあげた。

その後鹿角甚句

毛馬内盆踊

のことか

)を見物し、甚句の連中に加わり踊った。同行者は古荘

名不

)、川村淳、山名次郎、

新井

話)らと折戸亀太郎、同町の山本喜七、勝又平太郎、泉沢熊之助、和田健次郎等であった。

翌九日、朝九時花輪に向って出発したが、途中古川橋破損のため、午後四時ようやく花輪に着いた。演説会は、

花輪出身折戸亀太郎が第一席の弁士に出るや満場騒然となり、次々と弁士が登壇したが場内轟々と少しも聞えず

巡査警部の制止も効がなかった。早川龍助が演説の中で民党を罵ったため、満場総立ちとなり一〇名ほど残して

ほとんど立ち去ったので、中止となった。午後六時奈良長兵衛宅で懇談会が開かれたが、毛馬内九分、花輪一分

の参会者で、不思議な会となった。翌朝一行は大館に向かった。以上の報道は秋田魁新報

二五年九月

)によった

一三日付

もので、同紙が民党側であることを考慮に入れても、当時の情況をおおむね察することができる。

憲政本党の遊説

二一年八月第六回総選挙の結果、第二区選出の衆議院議員として、新政党である憲政党の

甲山雄三が当選した。この年六月、これまで議会内に二大政党として勢力をもっていた白

田党・進歩党が解散合同し、憲政党を結成した。しかし数月を経ずして党内に軌轢を生じ、一一月旧進歩派が憲

〓本党を組織するに至った。かくして旧自由派の憲政党と、進歩派の憲政本党の争いは、これから以後熾烈をき