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わめることとなる。

二二年七月一三日、憲政本党の河野廣中、肥塚龍らの一行は、遊説のため大館に到着した。折から大館にあっ

た柴内の木村律衛も、北秋の有志とともに白沢駅にこれを出迎えた。翌一四日の午後一時過ぎ、一行の演説会が

花輪町長年寺に開かれ、聴衆は一千二三百名と立錐の余地もない程になった。演説は第一席大里恒三、第二席山

出猪太郎、第三席伊藤直純、第四席肥塚龍、第五席河野廣中と続き、いずれにも万雷のごとき拍手がおこった。

ようやく午後六時二〇分散会し、同七時より花輪町吾妻亭に懇親会が開かれた。地元から奈良庄兵衛、工藤彦助、

関忠治、小田嶋卯助、小野寺勝太郎、大里恒三、高橋三五、内田平三郎、高橋春省、児玉正次郎、倍賞善太郎、

豊口重太郎、大里巳代治、奈良佐太郎、黒沢繁治、田口傳三郎、諏訪音治、米田慶次郎らを重立ちとし一〇〇名

程が参加し盛会であった。

この遊説一行を迎えるにあたり、花輪有志は数日前より同町根本旅店に事務所を設け、長年寺の会場には緑門

をしつらい、憲政本党と染抜いた提灯を下げ、下足その他の世話人は丸に憲の字を染めた半纒を付けていた。さ

らに懇親会場の軒には〓間なく憲政本党万歳、畠山代議士万歳と染めた紅燈を吊すという、歓迎ぶりであったと

いう(

)。

秋田魁新報明治三

二年七月一八日付