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第四節日清・日露戦争と郷土

一、日清戦争と郷土

日清戦争

当時の国際情勢が、朝鮮半島をめぐって緊迫をつげるにつれ、清国やロシアに対抗して国威を

のばそうとする日本の立場は、いよいよ危ういものになっていた。政府が国力増強のため軍艦

建造や製鉄所設立を提案したのに対し、議会は民力休養・経費削減を叫んで反対したが、条約改正問題もからん

で、世論は次第に対外強硬論に傾いていった。

明治二四年五月、来日中のロシア皇太子が警備の日本人巡査に襲われ負傷するという事件が起こった(

大津

事件

)。

『鹿角の

これに関して鹿角の大里寿ら有志から皇太子へ見舞の電報の奉呈がなされた(

)。どの程度の範囲で見

あゆみ』

舞が出されたか分らないが、国の直面した危難に敏感に反応していた姿が浮かんでくる。

二六年一月、衆議院が軍艦建造費を削除したあと、軍備拡張の詔書が出され、国民の間には製艦費献納の運動

が広がった。前記花輪町大里寿が、同年二月県に宛てた「製艦費献納願」が残されている

『前掲

書』

)。その文面

は、まず趣意を述べたあとに、その金額は九牛の一毛にも当たらないが、家計歳出の一〇分の一を節約し本年か

ら向う六カ年間毎年金三〇円宛献納したい、と申しでている。ただし三月一八日、内閣総理大臣告示により献納

運動は中止となった。秋田魁新報

六年三月

五日付

)は、それまでの本県市郡別製艦費献金額及び人員として、その数