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第12図花輪町の旅順陥落祝仮装行列参加者
(大里悦造氏蔵)
○同日、尾去沢では各部落の団体が提灯をもって山神社
前に集合、楽隊を先頭に避病院まで下り、坊主山の上
で大篝火をたき万歳三唱して解散。毛馬内では三日夜
提灯行列、七日祝捷会には武者行列あり、歩騎合せて
三〇余人六具甲冑に身を固め、楽隊を先に堂々と繰り
出し、なかなか見事であった(前掲号)
○勤倹組合が組織され、毎月一〇銭以上を郵便貯金で積
立てることとした。奢侈贅沢をやめ宴会は二ノ膳引肴
を出さず、送り膳を廃すること、仏事に引菓子、酒を
廃し、法事はなるべく寺で行うこと、吉凶事に樽肴饅
頭等を付けることをやめ、吉事は五〇銭以下吊祭は一
○銭以下の贈答とすること、湯見舞をやめること、訪
問客に猥りに酒食を出さぬこと、招客の時分使は一〓
にとどめることなどを申し合せた(第四号・同年二月)
○花輪恤兵会のほか、毛馬内には軍人慰籍会があり先般
から月々慰籍会通信を発行して郷里の景況を報告し、
先日防寒用靴下一足ずつ送付したという。尾去沢尚武
会はほぼ花輪恤兵会と同じ活動を続け、同鉱山は出征
家族には特に職業を与えて家計を助けつつある(第五
号・同年三月)。
○第八師団出征以来黒溝台、奉天、旅順等の激戦を経て、
わが郡の健児を失し数は左の通りである。花輪町一一
人、尾去沢村八人、曙村三人、宮川村七人、柴平村一
人、錦木村四人、毛馬内村八人、大湯村六人。小坂村