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月以降徴収期日を一一日、二一日、翌月一日の月三回、それぞれ一〇日分を徴収することにしていた(
)。
『大湯村会
議事録綴』
また花輪町では三八年四月大里文五郎が町医を嘱託され、のち大里周蔵にかわった。四五年二月花輪町々医職
務規程を設け、内容を伝染病予防、種痘、トラホーム検診予防、壮丁検診治療其他町長より特に命じられた事項
を行うこととしている。
これより先の二五年頃、大里文五郎を院長に本田伊三次を副院長にして郡病院設立の動きがあったが、出張所
巡回医員等のことで設立できなかったという(
『秋田魁新報
五年三月二三日』
)。このため鹿角における病院設立は、四一年創
立診療科目内外科一般の私立小坂病院がその最初となった。『見聞雑誌』』に二三年二月「三菱社病院」の記事が
あるが、これは当時の医院について鉱山関係者が病院といっていたものと思われる。
二六年大里文五郎を会長として鹿角郡医師会が創立された一
『鹿友会誌」
第拾四冊所収
)が、この会はまた鹿角郡医師会と
もいわれていた(
前掲『鹿
友会誌』
)。この年、鹿角における医師等、保健衛生関係者は次のとおりである
小田島由義
編『郡誌』
)
)。
医師一九人、鍼灸術九人、産婆一〇人、獣医一人、蹄鉄工一人
当時獣医、蹄鉄工も医事行政に含まれていたことは注目される。なお同年大湯村では「医師一人、産婆、鍼灸
業者等ナシ」であった(
『大湯
村誌』
)。
三九年県医師会規則が制定され、鹿角郡医師会は翌四〇年一一月に設立された
『秋田県医
師会史
鹿角郡医師会
)。
郡の組織化に努力したのは大里文五郎、米山彦郎であった。初代の役員は次のとおり選出さ
れている。
会長
会長大里文五郎、副会長米山彦郎、評議員浦井財治、乳井廉、小笠原秀治、理事(
)柏田愛次郎、
指名