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輪町のみの指定であった。
花輪町では三七年五月汚物掃除方法井職務章程を定めた。それによると区域は町内新田町から運搬に着手し下
タ町までの県道筋、期間は毎年四月一日から一一月三〇日まで、時間は午前九時から午後四時まで、休業日は祝
祭日及び大雨の時であった。掃除夫は一名、運搬用車は覆蓋のある容器を載せた車一台を常備し、年間予算は三
〇〇円である。収集した汚物、塵芥のうち肥料に適するものは希望者に交付し、それ以外は焼却した。ただし伝
染病流行の際はすべて焼却することにしていた。
私立衛生会
二年毛馬内町役場への引渡目録に「一九年大日本私立衛生会則」がみえる。この大日本私立
衛生会は一六年に結成され、機関紙「大日本衛生雑誌」を発行、二五年伝染病研究所を創立し
ており、大里文五郎は三四年にその地方委員を委嘱されている。
北鹿連合衛生会
北鹿連合衛生会の北鹿とは北部鹿角の略で、毛馬内、錦木、七滝、小坂、大湯の五ケ町村
有志によって組織され、町村各二名の幹事によって運営されていた。
この衛生会は、大日本私立衛生会秋田県支部募集員深見久温からの入会員募集によったことや、その深見久温
自身が三四年三月の時点で北鹿連合衛生会長であったことを考えると、大日本私立衛生会の流れをくむものであっ
たと思われる。
〓立年代は不明だが、三二年五月より三三年七月に至る会計報告があることから、三二年五月以前には設立さ
れていたと思われる。この会計報告によると、会費一〇銭、会員二一〇名で、事業として衛生幻灯会、衛生談話
会などを行っているが、活動内容には不明なことが多い。