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第〓表明治四一年三月学校医設置町村及び校医数
隔離病舎
隔離病舎は避病院ともいわれ、伝染病予防法によって町村は伝染病院か隔離病舎を設置しなけ
ればならなかった。
三四年四月町村事務会で「隔離病舎建設」の指示があったほか、翌三五年七月には各町村から「伝染病隔離病
『町村事務
舎建設」計画の説明をうけている(
)
)。
会書類綴。
花輪町では三五年一月隔離病舎敷地を下夕町四一番地及び四二番地に求め、大湯村では三六年仮病舎用家屋敷
地購入のため、七四九円余を追加支出している。この病舎は大湯字和町二二番地、建坪五八・九九坪であった。
いのほか錦木村については「隔離病舎は昨年新築、本年収容せる赤痢患者十有六名、二三日前閉鎖せり」
『秋田魁新報
二八年
)、尾去沢村については『花輪便り』
(
)に「避病院の所までさがり坊主山の上で」など、
三七年一月六日』
一月
当時の隔離病舎についての記事がみえる。
隅離病舎建設を計画したが、実現できなかった町村もあった。毛馬内町会は二九年三月「避病院建設」を敷地
豕屋未決定とのことで否決したほか、三一年には寄付金三百円で伝染病隔離室新築を計画したが実現せず、赤痢
(
流行の三二年、三四年には隔離室借家、臨時病舎で間に合わせていた(
「同町予
算書』
)。
)