テキストを表示

一、道路・舟運の整備

〓新しい道路政策

明治初年の新政府の道路政策は、元年に関所を廃止したほかは、ほとんど旧制の域を出なかった。新たな政策

が打ち出されたのは、明治五年になってからである。この時旧来の伝馬・助郷など村々の負担になる制度を廃し、

人馬継立の陸運会社を設立するようにしたことなど、全国的視野にたつ政策が行われるようになった。

その中央集権的な施策のあらわれとして、地方における新道開鑿についても、初めは大蔵卿の許可が必要とさ

れていた。鹿角の例には、五年「鹿角郡小豆澤村地内一ノ渡橋、天狗橋、石野村棚橋三橋を廃して新道開鑿方出

『秋田県史』資

願(十一月二十日大蔵卿許可)」がある(

)。石野村棚橋とは、藩政期の毛馬内から石野に至る他

料・明治篇下

領往来のうち、男神山の川縁に設けられた桟道のことである。なお内務省の新設により、七年からは内務卿の許

可事項にかわった。

政府は同じく七年に道路と河川に一等から三等までの等級制をしき、その築造・改修・維持の費用を一等は国

庫からの支出、二等は県費の支出、三等は民費の負担によることを定めた。鹿角の道路はすべて三等とされ、米