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、歩行壱人金四厘一、長持壱棹金壱銭二厘一、牛馬壱疋金八〓
一、人力車壱輌金八厘一、駕篭壱挺金壱銭二厘一、雪車壱挺金八厘
(
架橋につき一六年に鹿角郡長から「地方税より支弁願」が提出された結果、二一年には「長サ七四間、幅一四尺」
『鹿角
志』
)の立派な橋が完成した。
一〇年代には従来の鹿角街道のほかに、鹿角と岩手県を結ぶいわゆる援部越え道路が新たに開設されている。
一二年七月の鹿角郡長の上申書に、当郡から岩手県に達する道路は二路線あり、一つは宮麓村の支郷湯瀬を通る
従来の道路で、一つは長谷川村より達する道で昨年開鑿したものであると記され、襞部道の開鑿が一一年に行わ
れたことを証している一
前掲・明治一二~一四
年『道路掛事務簿
{〓
)。
谷内村阿部藤助の金比羅参り『道中記』
阿部
家文書
)によると、一二年二月の旅立ちで、往路はこの畏部道を
越えて盛岡へ出ている。その道順は、谷内〓熊沢↓深(泊り)-(四里)〓細野(昼)-(三里)↓松尾(泊り)-
(一里半)〓田頭-(六里半)〓盛岡となっている。一二年六月の鹿角郡出張土木御用掛からの伺書には、岩手県
管轄の兄川と裝部の間にある二橋が、洪水で流出したと記されている。同じ時期、鹿角郡長から県会に宛て、将
『前掲
来の鹿角・盛岡間の道路としてどちらが有効であるか調査を行うよう、上申がなされている
)。
書』
このことと呼応するかのように、岩手県側でも鹿角を通り青森県に至る道路の開鑿を、一〇年二月から始めた。
岩手県ではこの道路を津軽街道と称した。その計画は、盛岡から鹿角を通り青森県下津軽郡に通じるものとし、
荒屋村
田山村
七時雨峠と梨ノ木峠の嶮峻をさけるため、松尾村・細野一
)・兄川(
)を結ぶ新道を切り開くもので
の支村
の支村
通渾
あった。この路線中、松尾・細野・兄川には駅一
)を設ける、ともしている。なおその道路開鑿費用四、〇
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