テキストを表示
二、交通機関の進歩
通運会社の設立
藩政時代からの伝馬・助郷制が廃されて、それに替わる通運会社の設立が全国的な規模で
なされた。秋田県においては、七年に一一三の陸運会社が設立されている。鹿角郡内では
同年次の七社が「相対人馬継立請負」を目的として、その届出を終えている(
明治七年『駅
逓掛事務簿』
)
)。
毛馬内駅毛馬内村柳館茂八郎神田駅神田村青山孫右衛門
大湯駅大湯村上野徳右衛門花輪駅花輪村関久太郎
小坂駅小坂村小笠原久右衛門湯瀬駅湯瀬村黒沢由蔵
松山駅松山村板橋勘作
これらの会社は、全国組織である内国通運会社の傘下におかれた。その後、鉄道開通など交通機関の発達によっ
て逐次整理され、三〇年頃には秋田県全体で荷物受負所四三、人馬継立所四四、鹿角は荷物受負所一、人馬継立
所三にまで減少している(
秋田魁数報・明治
二〇・一〇・七付
c
)。
その中で、一八年に花輪の根市富之助が花輪駅伝取締人として秋田県から運送業の許可を得、翌年人力車挽営
業の許可も得た(
根市家
文書
)など、新たに運送業を始める者もあった。
この通運会社を利用して旅行した例として、一〇年に寺坂村遠藤政忠の記した「大阪府下より陸中国鹿角郡寺
坂村まで宿泊車馬賃表」がある(
『花輪町誌編纂資
料・第一号』所収
〓。
)