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郵便の路線

この章旗は、縦七尺・横一丈・地唐木綿に、郵便局と横書きしたものであった。しかしこういった方策が必要と

されたこと自体、県民がなかなか郵便制度になじめなかったということを示している。

七年頃の県内郵便の逓送路には本道筋と枝道筋があり、本道筋は毎日往復・枝道筋は隔日往復

『秋田県史』

・第五巻

の取扱いであった(

)。

本道筋=下院内-湯沢-横手-六郷-大曲-刈和野-境-戸嶋-久保田-土崎湊-一日市-森岡-桧山-荷上場-綴

子-大館(〓カ所)

枝道筋=(鹿角の例)大館-十二所-毛馬内-花輪

花輪・毛馬内で集められた郵便物は隔日に十二所を経て大館へ、大館からは毎日綴子を経て本道筋へ送られた。

到着する郵便物も同様である。

こうした郵便逓送路やその回数は、局舎の創廃設や地元の要望等でたびたび変更された。花輪郵便取扱所を起

点とした逓送線路は、開始時の七年四月が花輪-毛馬内間隔日扱いで、里程は二里二四丁余り、逓送速度は一時

間に付一里半と定められていた。

また県外へ出る道筋には、大館から青森県へ通ずる路、花輪から田山への路があった。花輪-田山の線は寺田

を経て盛岡へ通じ、そしてこの線は八年三月から月九回の定期便を開始した。すなわち盛岡差立が二・五・八

二・一五・一八・二二・二五・二八日、花輪差立が三・五・九のつく日の各々九回で、藩政時代の飛脚便を思

奇数

んせる。八年九月には盛岡大館間小線路が順送便となり、盛岡差立は半ノ日

ス)、大館差立は丁ノ日一

偶数

とされ、一二年五月には隔日差立順送便になった。同月大館花輪間も毎日差立、十二所交換持戻便で毛馬内局立