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役員は組長が大里已代治で、組織は三部に分れ第一部は花輪村から川口理七郎(取締役兼検査役)・関村忠次

郎(検査役)・吉田五郎(議員)、第二部毛馬内村は大里繁治(副組合長兼取締役検査役)、議員として山本喜

七・田口和七・泉沢熊之助・第三部大湯村から山口植之助(取締役兼検査役)・一方井廉治(議員)が選出され

ている。組合の名称といい、役員の数が他地区より多いことといい、当時の蚕糸業は毛馬内が中心であったとい

うことができる。

ちなみに二一年一月の蚕糸業組合の郡役所宛報告によると、養蚕雇賃金は日給で上一一銭・中一〇銭・下九銭、

製糸女工賃金は上八銭・中七銭五厘・下七銭と、段階があった」

『毛馬内郷土史資料

明治時代の部・中』

)

)。

三、和井内ますと勧業指導

十和田湖の養魚

十和田湖の養魚事業の先達としてヒメマス放流の和井内貞行が著名だが、他にも多くの先

人が養魚を試みている。

青森県

古くは安政二年(一八五五)に、十和田村(

上北郡

・角久平等が銚子大滝の下流でイワナを獲り、子の口へ

放流したという記録がある(

品川弥千江『十和田湖

八甲田山』東奥日報社』

。また明治一〇年頃、小坂村の吉田藤吉が湖にイワナを放流

したという一

中道等著『十)

和田村史』

)。

一二年頃十和田鉱山山長飯岡政治が鯉一万尾フナ若干を放流、一五年七月に青森県五戸町の三浦泉八が鯉・イ

クナ数百尾ずつを、湖と宇樽部川にそれぞれ放流した。一八年には十和田鉱山所長・飯岡政徳と大湯村・千葉旅