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江刺県花輪役所から申付けられている。また同年閏一〇月大湯村諏訪諒平が開墾世話方となった。五年二月には、
これまでの開墾山林下調であった川村喜太郎・関市之助が役を免ぜられ、代りに小田嶋徳弥・奈良駒治が任ぜら
れている。
明治三年『通達綴』(
諏訪
家文書
一)によると、それぞれの村方の内に空地廃地等がある場合はすべて田畑に開墾
するか、四木の類を植付けることとし、取調べの上報告するよう諭達があった。それに対する草木村の答書は次
の通りである。
村方ノ内、開墾場所其外不仕付場所等、新発並ニ起返シハ勿論、御山御林之外田畑ニ相成ラザル場処エハ四木ノ類植付、
成丈其村窮民エモ申遣ス可ク、都テ御国益御開業ノ御折柄、村方ノ内空地廃地有之候テハ相成ラザル段、再応御諭達ノ
趣畏ミ奉リ、右ヲ因循仕リ居候ハバ、外村ヨリ願人有之節右エ申付候テモ村方差支無之哉、右有無申上奉ル可キ旨御尋
畏ミ奉リ候、依テハ以来村方ノ内空地廃地等無之様、取調べ開立ノ義願出可キハ勿論、延引仕リ居外村ヨリ願上奉リ候ニ
仰付ケラレ候共、村方差支ハ勿論後悔御座無ク候、恐レ乍ら此段御尋ニ付御答申上奉リ候以上
明治三年午閏十月
明治三年午閏十月草木村惣代/右組頭/庄曰
江刺県花輪御役所
当時の官が主導して村々の空地廃地の土地利用を図っている状況が、鮮明に浮かび上ってくる。
長嶺村庄屋阿部甚五平『御觸帳』
阿部
家文書
音)のなかにも、同地区の開立にかかわる幾通りかの動きが書留め
られている。四年二月二八日、甚五平方へ川部村百姓孫八から、元中野家中の川村善太郎より頼まれて前川原開
立世話方となったので、この場所の開立に差支えがないか承わりたいとの申入れがあった。三月一七日小豆沢村
庄屋市太郎から、同村中谷地の開立に関し、三ケ田村と長嶺村との郷境を明らかにしてほしいという話があった。
同じく四月四日小山少参事が村々の新田見分のために見廻る、という記事がある。その順路は、元井上良助新