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二、農業の進展
勧農の指導者たち
明治前期の農業の発展は、政府と県の強力な勧農政策によって推し進められていた。鹿
角郡においてもこの政策を積極的に受け入れ、自由試験場や私設勧業場を設けて西洋農
農事老練の
法の移植をはかったのは、旧士分層の人たちであった。県の施策によっていわゆる老農一
)たちが小区
ものの意
勧業係や勧業担当の郡書記に任命され、勧業会議のちの種苗交換会談話会員に選ばれ活躍した時期である。
本県農業の基礎作りに大きく貢献した種苗交換会は、初め一一年九月に勧業会議として発足した。その第一回
毛馬
会議に鹿角から出席したのは、七小区勧業係石川儀兵衛
花
)と八小区勧業係関村八兵衛
)であった。会
内
輪
七島
議では、七嶋(
○苧・烟草・牛・羊等を「新利アル動植物」としてあげ、また米・麦や蔬菜類についても、
藺
まず種子の良種を選びかつ交換の道を設
けることの必要が話合われている。同
一月勧業会議の決定により初の種子交換
会が秋田八橋植物園において開催された。
鹿角から種子を携帯し交換した者は上表
の通りで、まだ鉄道もない僻遠の地から
はるばる参加した研究心と意気ごみは壮
第6表明治一一年第一回種子交換会へ出品した鹿角産種子
秋田退〓新聞・明治〓年4月6日~〓日付による
としなければならない。